死ぬのが1番効率的なら、生産性を追いかける必要は全くないはず
家で何もできない、短絡的な欲に支配される、スマホに支配される
そんな自分が嫌いすぎる
でもスマホを管理してくれる人はいない
辛いのがわかってるのにスマホをやめられない、勉強したくない
こんな感じで最近生きる事自体があまりに辛すぎる
なんとなく思ったけど、スマホ依存をやめられないというよりは、やるべき事(自分の場合は音楽)が楽しくなさすぎるから現実逃避したくてネットという仮想の世界に逃げ込んでいる
結果的にそれが1番辛いのだけれど
そもそも自分の “やるべき事” が
最近は “やらなきゃいけない事” になってどんどんやりたくなくなる
その結果、週一回やるかやらないかくらいの頻度になった
やらなきゃいけない事をやらない自分を責めて本当に地獄にいるみたいな気分になってるし、もちろん死にたいと毎日思ってる
そこで根本の部分に立ち戻って音楽を “やるべき事” にしたいくつかの理由をもう一度考えてみる
・お金のため
・生活のため
・安定のため
・将来のため
・安心のため
・仕事を辞めるため
何一つ間違ってはいない、
ただ「音楽を作ることが好きだから」という理由でやり始めた訳ではない以上、全然楽しくないことをやらないきゃいけない
しかも毎日
また何年もやり続けたところでこれらが手に入るかは保証されてない
だから自分の根本的な部分が間違ってる、
動機というより やるべき事 に “見返りを求めていること” が間違っている
スタート地点はお金や安心のためでもいいけど、これらが得られないと音楽をやってる意味がないというのはあまりにも辛すぎるし
これらを手に入れる事をゴールとすると、効率と生産性を追いかけることになる
人間という非効率的な “動物” として生きている以上、効率や生産性や損得を追いかけても理想的なそれらに届くわけがないし(理想を下げれられない性格である以上は)
機械になれる訳ではないから、「最も効率の良い方法方法は死ぬこと」にたどり着いてしまう
だから効率や生産性を追い求める必要はない
基準として “100点” が存在してて そこからやりたくないことや、自分のためにならないことで人生を使ってしまって どんどん自由な時間が減ってるという「引き算的」な考え方が間違ってる
機械みたいな計算はできないし、ロボットみたいな正確で同じ動きはできない
とにかく効率の悪い 人間 という“動物”として生きているという前提を踏まえると
生きるということはわざと効率の悪いことをしようとしているということなんだと思う
これは基準が “0” で自分の人生に対して何の見返りも求めてない、
何をやったところで死ぬことの効率には敵わない、
だから自分の人生を搾取されようと、搾取されていると感じようとどうだっていい
興味のないことの勉強も全くもって無駄にならないし、職場のクソみたいな人間の尻拭いも無駄にはならない
なぜなら基準が “0” だから、生きているという時点で加点しかない
と解釈する事で少しだけ楽になりました
元も子もない事言っちゃうと46億年の地球の歴史のうちで、自分の人生の80年なんてたかが知れてるし…とも思ってしまった
ここまで読んでいただきありがとうございました。
家に帰ったらやること
常に見返りを求めているから、見返りが得られないことはしたくない
効率しか考えてない、やっても意味がないことはやりたくない
でも何をするにしても短期的な結果なんて0に等しい
だからやりたくない
なのに欲しいものを手にするには毎日1を積み重ねる以外に方法がない
今まで何もしなくてもどうにかなったし、手に入ることが約束されたことはやってきた
逆に約束されていないことは何もやらなかった
だから見返りを求めない純粋な努力をしたことがない、何かをやり続けた経験がない
数年後にお金が稼げてるかとか誰から批判されるだとか良いものが作れないだとか時間がかかるものは作れないだとか、人生が架空の判断と未来で埋め尽くされている
判断と未来を自分の人生から消すことはできないが、今に生き続ける限りそれらが入りこむ余地はない、だから手を動かし続けなければいけない
未来や過去や他人や自分の価値から目を逸らせるなら創作をしなくてもいい
作ることによる自分に対する自分の批評が辛いなら創作をしなくてもいい
手を動かして今以外から目を逸らせるのであればなんでもいい
元々創作をする気でいて10年間全く何も作らなかった、だから死ぬまで何も作らないと思う
しかし、自分の命や金に執着を捨てたのなら何の問題もない
いつでも死ねるんだから裕福な暮らしができないことに悲しみで反応する必要がない
手を動かしてないのに手を動かした後の事ばかり考えて結局何もしない
何もしてないのに結果なんて考えようがないし求めようがない
手を動かし続けて勝手について来るのが結果、それを良いととるか悪いととるかはその時の自分しか知らない
だから手を動かし続けようって話です
ここまで読んでいただきありがとうございました。
生きる意味、人生の価値
※この記事は以前に書いた「死にたい人へ」の続きのようなものです。もしよろしければこちらもご覧になっていただけると幸いです。https://sumahoizon.hatenablog.com/entry/2022/11/13/死にたい人へ
私は人生に意味も価値も全く無いと思います。
なぜかと言うと、死んでしまえば地位も名誉もお金も自分が死んだことすらも知覚できなくなるからです。
いつでも死ねるしいつかは必ず死ぬ+死んだら無くなるもの に意味も価値もない
というのが私の考えです。
この記事に辿り着いたあなたは恐らく、人生は無意味じゃない、あなたの人生には価値があると言って欲しいのかもしれないです。もしくはそれらの答えに辿り着くヒントを探しているかもしれない。
ですが人生に意味も価値もないです。
私がこの記事を通して伝えたいのは「生きる意味なんてない」ということではなく、
死のうと思えばいつでも死ねるし、どうせいつか必ず死ぬ
死んだら何もかも無くなるんだから生きることに必死にならなくていい
ということです。
自分の命、自分の価値、人からどう見られるか、お金、人生設計、死に方に執着しなくなると本当に生きるのが楽です。
「死にたい人へ」の記事でも書きましたが常に自殺や安楽死を選択肢の一つとして持っておくと「死ねば何とかなるし、いずれどうせ死ぬし」で全てが解決できます。
自殺に対してマイナスの意味づけをするのは他人です。
しかし自分の人生の責任は自分しか取れないので、他人から何を言われようとマイナスで受け取るかプラスで受け取るかは自分が選べます。私は自殺や安楽死をただの選択肢の一つだと言っているだけです。
色々書きましたが、一言にすると「どうせ死ぬんだから生きることに必死になる必要ないよ」ってことです。
スマホ依存とあんまり関係ない内容になりました、なんかすみません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
自殺するかどうかは本人の自由
私は自殺や安楽死に対して賛成派でも反対派でもなく肯定派です。
理由はあなたの人生の責任はあなたしか取れないからです。
学校に行かないといけない、仕事に行かないといけない
親に言われて、自分の世間体を考えて、将来のことを考えて…
でも自分の人生のために行ってる学校や仕事のせいで自殺するって、不本意というか納得いくものではない気がします。
「死にたい」じゃなくて、「生きるのが辛いから生きるのを辞めたい」だと思います。
ただ、私はこれを読んでくれているあなたの人生に干渉する権利は一切ありません。
だから「死んだ方が楽だ」とも「自殺なんてダメだ」とも絶対に言いません。
もっと言うとあなたの友達もあなたの親も家族もあなたの人生に干渉する権利は一切ありません。
なぜならあなたの人生の責任はあなたしか取れないからです。
本当は学校に行くことが辛くてたまらないのに、学校を辞める事を親が許してくれない、無理やり学校に行かせられる
もしそれであなたが自殺したら学校に行かせてた親は責任を取れるでしょうか?あなたをいじめてた生徒やその生徒の親は責任を取れるでしょうか?
答えはNOです。
なぜなら、親が後悔をしても、いじめた人間が懲罰を受けたとしても、賠償金を貰ったとしてもあなたの命は戻らないからです。
逆にあなたが学校や職場やその他の境遇から逃れることで自殺を防げたとして、あなたはその責任を取れるでしょうか?
答えはYESです。
なぜなら、それがいい結果になろうと悪い結果になろうとその“結果”は全てあなたとあなたの人生が引き受けるからです。
学校や仕事が死ぬほど辛いならそんなもの辞めてしまえばいいです。
あなただけがあなたの人生の責任を負うことができます。
私がこの記事で伝えたいことは 「あなたは自由だということ」 ただそれだけです。
生まれた瞬間から、いついかなる時も自由です。
責任と自由の大きさは同じです。
あなたの人生の責任はあなたしか負うことができないからあなたは自由なのです。
一つの事柄に対してポジティブな感情を抱くのもネガティブな感情を抱くのも、死を選ぶのも生を選ぶのもあなたの自由です。
これを知ることなく「生きるのが辛いから」という理由で命をたつのは私も心苦しいのでこの事を伝えたかっただけです。
この記事に辿り着いたあなたは恐らく本気で自殺を考えたことがあるでしょう。
そんなあなたに私から生きるコツを少しだけ
私は割と常に自殺が選択肢の一つにあります。
なので嫌なことがあっても
「まあ自殺するよりかはマシかな」と思えたり、
取り返しのつかないような失敗をしても「まあどうせ自殺するし」と思えます。
これ、かなり悲観的なように見えて意外と楽になれます。
あともう一つだけ
本を読むこともおすすめです。
世界最古の本って5000年も前のものらしいです。
この5000年の間にあなたと同じ悩みを抱えた人間が一人もいないわけがないです。あなたの琴線に触れる本は必ずあります。
おすすめはインターネットやSNSが流行る前から読まれ続けている本です。アランの幸福論とか。
ネットが普及する前から今なお読まれ続けているということは本質的に素晴らしい物という証拠だと私は思います。
最後になりますが、あなたが自殺を選ぶのも生きる事を選ぶのも、私はその全てを肯定します。
どんな選択肢も肯定します。
そして心から応援しています。
あなたと同じ悩みを抱える人間より
ここまで読んでいただきありがとうございました。
依存症を“病気”たらしめる原因は自分を責める心
スマホ依存症やその他の依存症において1番辛いことは
その症状について悩み、自分を責めることだと思うのです。
どうやっても変わらない過去の事実に対して、心の中で無意識に自分を責める
↓
無意識だから気づくことができない、過去だから変わらない
↓
無意識のままストレスだけが溜まっていく
↓
ストレスとできない自分と現実から逃れるために依存する
↓
自分を責める
の無限ループに10年間ずっといます。
逆にスマホを一日中触ってても一切気にしてない人は病気では無いと思うのです。
依存症の“病気”たらしめる原因は自分で自分を責める心だと私は思います。
依存症を悪化させるのもストレスでお腹が痛くなるのも、自分で自分を責めるストレスから生まれるものだと思います。
言い換えると自分で自分の首を絞めている状態です。
しかし、これは自分が舵を握ってるということでもあります。
自分の首を絞めているのは自分なので、その手を離す練習をすればいいのです。
「自分に優しくなれ」とかよく聞くけど、自分に優しくなれる人は依存症について悩まないし、自分で自分の首を絞めないと思います。
ここで大事なのは合理的な考え方です。
・どう感じるか、どんな反応をするかは自分で選ぶことができる。
・過去はどうやっても変えることができないんだから、過去について考えることをやめる
これを理解することだと思います。
これが理解できたら後は自分を責めていることに気づけるようになれば自分を責めなくなります。
自分を観察して、それをSNSやブログやメモ帳などにアウトプットすることを習慣にすれば、自分の心の小さな変化に気づけるようになります。
自分の中にモヤモヤ、イライラが溜まっている時は自分を責めていることに気づくチャンスです。
自分をよく観察して心の違和感に気づけるようになると自分を責めなくなり、スマホを使うことにも悩まなくなり、結果的に依存症自体忘れてしまうかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
スマホ依存症を克服することを目的とすると、結果的に克服できなかったら全て失敗になりかねない
自分のスタンスがブレまくっていた為に、気づかないうちに自分で自分の首を絞めていました。
自分はあらゆる方法を試したけど10年間スマホ依存症が治らなかったから、もう治すのは諦めて、
依存症が発動してもネタとして使えれば自分を責めなくて済む
ってことを動機としてブログとツイッターを始めました。
しかし気づいたらたった1ヶ月で、誰かの為になるような情報とその成果を上げる場所としてブログをツイッターをやっていました。
その結果自分の首を絞め、ブログで書いた依存症克服方法も土日に実行することができず、ツイッターで依存症が爆発した日のスクリーンタイムを公開したくない、もう更新やめよっかな…
が今日の朝です。
・依存症で自分を責めたところで事実は変わらないし、自分を責めたところでスマホ依存症に変化があった事は10年間で一度もない
・治そうとあらゆる手段を尽くしても、スマホを自動的に物理的に触れないようにする環境を手に入れない限り依存状態から抜けられない
・依存状態から抜け出すことができたとしても、依存症を克服することはできなかったのがこの10年間
これらはこの10年間のスマホ依存症が証明した事なので、改めて依存症を治そうとするのはやめます。
何を堂々と宣言してるのかよくわかりませんが。
“スマホ依存症を克服することが目的なら、克服するまでずっと依存症であることを報告する事になるし、
結果的に克服できなかったら全て失敗になりかねない”
私は昨日までこの禍の中にいたので、毎日スマホ依存症を克服できない自分を直視しないといけなくて、なんかよくわからんないけど辛かったです。
“逆にスマホ依存症を克服することが目的でなければ、克服できなくてもそれをネタとして報告すること自体が目的だから
結果的に克服できなかったとしても何の問題もない”
このブログを書き始めた時のスタンスに戻って、とにかく自分のためにこのブログとツイッターを続けようと思いましたとさ。
一人でスマホ依存症を克服する方法①
現在進行形でスマホ依存症の私の意見ではありますが、
スマホ依存症の原因は「環境」にあると思うのです。
スマホを何時間も触れる「環境」さえあれば、触る前にどれだけ用心しても数分触ったら用心したこと自体忘れてます。
逆に、物理的に触ることができない環境や操作ができない環境を作ってしまえば、理論上スマホ依存症にはならないはずです。
なので誰かに管理してもらいたいところなのですが、私にはスクリーンタイムで親子関係作って管理してくれるような親も友人もおらず、物理的に管理してくれるような同居人もおらず、仕事でスマホが必要な為にスマホを解約することもできない
ここまで八方塞がりの人間が、依存症を克服する環境を一人で作ろうという記事です。
なるべく意志に頼る必要がない環境を作る方法を自分なりに考えました。
自分を実験台としてこの方法に取り組み、ツイッターで毎日報告しようと思うので、もしよろしければフォローお願いします。
前置きが長くなってしまい申し訳ないです。
ようやく本題に入りまして具体的にどういう環境を作るのかというと
①スマホ依存症に陥らない環境を作る
(スマホという“端末”とよく利用する“機能”を分離させ、帰宅と同時にタイムロッキングコンテナに封印する)
②スマホ依存症に陥っても抜けられる環境を作る
③スマホ依存症に陥っても自分を責めない環境を作る
の3つです。
(書いたらあまりに長くなってしまったので、この記事では①について書きます。)
①はスマホが無くても生活できるようにして、家にいる間はタイムロッキングコンテナにスマホを封印しようって考えです。
「家」という無制限にスマホ使い放題の環境が諸悪の根源だと思うので、家ではスマホを一切触らないための準備をします。
①-1 スマホという“端末”とよく利用する“機能”を分離させる
タイムロッキングコンテナに封印して、物理的に触れないようにすれば依存症は克服できます。
と言ってしまえば簡単ですが、なかなかそうはいかないと思います。
それは、スマホという一つの端末に
Suica、その他決済、LINE、メモ、インターネット、音楽アプリ、カメラ、SNS、アラーム、ゲームなどなど
あらゆる機能が集中しすぎているためと思われます。
そこでスマホを使う必要を少しでも下げて封印しやすくするために、スマホという端末から自分がよく使う機能を切り離します。
Suicaやその他決済 → 現金やカード
メモ → ノート、メモ帳
アラーム → 目覚まし時計
などとにかく機能ごとに1つの端末に分離させます。
LINE、ネット、音楽アプリ、カメラ、SNS、ゲーム等 → そもそも本当に家で必要なのか、家で使えなかったらどうなるのかを具体的に考えると自分は必要ないという結論に達しました。
これで家でのスマホ依存度が大きく下がったところで、①-2の帰宅と同時に封印です。
①-2 玄関にタイムロッキングコンテナを置き、帰宅と同時に封印します
帰宅した瞬間に一番最初にやることがスマホの封印です。これでだいぶ改善されます。
と言ってもそれができないから依存症になってるという言い訳をされるかもしれません。
そういう方は家でスマホ使っていて何か自分の人生に得になることがあったかを考えてみましょう。
冒頭から何度も言ってるように依存症に陥る最大の原因は「スマホが使える環境」にあります。
今までの人生を振り返ってみて、自分のやりたいことや、やるべき事をスマホに奪われ続けた後悔や未練のある人生をこれからも続けたいと思うでしょうか?
(とか偉そうに言ってますけど、自分も土日の依存症は治せてないです泣)
コツは帰宅中にスマホを封印することを考えておくことです。
あと、帰宅時に封印したくない気持ちが出てきたら、別の記事でも書きましたがその気持ちを声に出してみると、頭の中でぐるぐる回っている感情や思考を言葉という「形」として客観視できるのでこれもおすすめです。↓
https://sumahoizon.hatenablog.com/entry/2022/09/24/形のない“感情”を言葉や文字という「形」にす
難しいのが土日です。平日は「明日の出勤まで」と明確に封印する時間が決まっているのですが、土日に丸2日間封印するのは勇気がいります。
そのため、“やることを土日に溜めずに平日に全部をやってしまえば、土日にスマホを封印できない理由がなくなる”と最近思いついたので、これを実行してみてツイッターでどうだったか報告しようと思います。
偉そうなこと言ってる私ですが、土日丸2日とも封印できたことなんてほぼないです。
でも毎週「丸2日封印しておけばよかったな」って思ってます。
なのでとりあえずやってみようと思います。
ツイッターで報告してるので、もし良ければ覗いてもらえるとありがたいです。↓